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■小説 上原半兵衛剣客列伝 柏木弥之介の巻

「し、師匠……?!」
 知らせを受けて武之介が駆けつけたとき、上原半兵衛は既に、倒れていた。
「大丈夫ですか。しっかりしてください」
「むう……、おなごとみて侮ったが、柏木弥之介、一生の不覚……」
「何、わけの分からないこと言っているんですか。今、駕篭を呼びますから、道場に帰りましょう」
 ここは深川にある、といっても辰巳芸者などとはまるで縁のない、場末の居酒屋だった。半兵衛が、ここで酔って踊り狂っていると聞いて、飛んできてみればこの有り様だ。
 それにしても……
 武之介は、店の親父の顔を見て、おそるおそる、
「あのう、お代は……?」
 と聞いた。
 親父の答えは、意外なものだった。
「いえ、頂戴いたしました。前金で、一両も」
「えぇっ、一両?!」
 一両あったら、貧しい道場の経営状態が、どれほど良くなることか。いや、その前に、その一両が、どこから出てきたのかというのが問題だ。
「本当に、ありがてぇことで……。こちらの旦那様がおいでにならなければ、借金のかたにこの店を取られるか、娘を女郎に売られるか。どっちにしても俺ぁ、この世に生きちゃあいられねぇところだ」
 涙ながらに、米搗きばったみたいにぴょこぴょこと頭を下げられては、釣りを返せというわけにもいかず、武之介は、半兵衛を抱きかかえるようにして外へ出た。
 あっと思ったのは、抱き起こしたときに、半兵衛の刀が、やけに軽く動くことに気づいたからだ。
「師匠っ、刀は……?!」
 大刀ばかりか、脇差まで、金貝さえ貼っていない竹光になっていた。
 いかに半兵衛が、夢想権之介を始祖とする、神道夢想流杖術の達人(これは自称だ)で、いざとなっても、刀を抜く必要性など皆無であろうとも、武芸者たるもの、武士の魂である刀を、粗略に扱って良いというものではない。
 しかし半兵衛は、うひょひょと笑って、
「ししょうれはない。たけみちゅのせんせーとよぶのら~」
 と言った。

「また、誰かの真似をはじめたらしいんですよ」
 以前、秋山小兵衛を気取った挙げ句に、一騒動巻き起こしたことは、まだ記憶に新しい。
「まあ、困りましたわね。そこまで無分別なことをなさる方ではなかったのですけれどねぇ、伯父上も……」
 武之介の話を聞いた歌代は、僅かに柳眉を寄せてそう言ったが、すぐに、
「でも、大丈夫ですわ。八ヶ月もあれば、伯父上も目を覚ますでしょう」
 質草は、八ヶ月を過ぎると質流れといって、転売されてしまうが、それまでは質屋の蔵に大切に保管されているのだ。
「そういう問題ですか、歌代さんっ。だいたい、質屋じゃなくて、古道具屋へ売り払ったんだったら、どうするんです」
「その時はその時。わたくしの着物を質入れして、当座はなんとかいたしましょう。もちろん、ちゃんと返していただきますけれど」
 最後のところをやけに強調して、歌代は言った。
「伯父上には、お好きなことを、させてあげてください。そうでないと、あとが大変。それこそ、何を仕出かすかわからない……と言ったのは、わたくしの母上。
 伯父上はお若いときからああで、いつでも突拍子もないことをしでかしては、母上を困らせていたそうですの。
 母上ももう歳で、いつまでも面倒は見きれないけれど、出来の悪い兄が心配でならないと言って、わたくしがここへ来ることになったのですけれど、武之介さんがいてくださって、本当に良かった。
 よろしくお願いしますね」
「は、はあ……」
 うっかり答えはしたものの、とんだことだ。

 翌日、半兵衛は宿酔いで苦しんで、ようやく起きだしてきたのはもう、夕方近くなってからのことだった。
 ふらふらと起きてきた半兵衛が、両刀を腰に帯びているのを見て、
「師匠。どこかへ、お出かけですか?」
「迎え酒じゃ」
「いい加減にしてください。体を壊してしまいますよ」
 しかし、結局半兵衛に押し切られ、供をして道場を出た。
 半兵衛がなっているつもりの柏木弥之介という剣客については、半兵衛が酔い倒れている間に、少し調べた。
 あまり高名な剣客ではないらしく、どこの道場に問い合わせても、なかなか芳しい答えが帰ってこなかったが、一人の老剣客が覚えていた。
 安永の頃の一刀流の剣客で、あまり大きな道場に席を置いていなかったため、それほど名が売れることはなかったが、当時の江戸でも一、二を争う実力の持ち主だったろう。しかし、何か事件を起こして、破門されてしまったらしい、と懐かしそうに語った。
 そして、その老剣客の小者で、これもかなりの老齢なのが、
「そいつぁ、竹光の先生のことで、ござんしょう」
 目を輝かせて、言った。
「あぁ、たしか、そんなことを言っていました」
「あの頃、俺らの仲間で、先生を知らねえやつは、いませんでしたよ。なにしろ強くて、気風がよくて、女にももてた。男の中の男てえのは、ああいうものだと思っておりやしたよ。好きなお酒を上がってにこにこしている先生のお側にいると、こっちまで元気になるような気が、したもんでさぁ」
「ははぁ」
「それにね、旦那。先生のお腰のものは、通り名のとおりの竹光なんだがね、先生の手にかかると、何でもすぱすぱと、剃刀みてえに切れるんだよ。俺ぁ、この目で見たことがある。嘘じゃぁありません」
 なるほど、そういう人物なら、半兵衛師匠が真似をしたがるのも、うなずける。
 女にもてる、というのが、極め付きだ。

「ばっか野郎。どこぃ目ぇつけて歩いてんのさ。この、唐変木」
 聞き覚えのある啖呵に、武之介は、はっと振り返った。
 まさしくそれは、うっかり名前を聞きそびれたが、過日、鯉をくれた親切な浪人と一緒にいた娘だ。
「おぉっ、あの娘はっ」
 言ったのは、武之介ではない。半兵衛の方だった。
「師匠、あの娘をご存知なんですか?」
「昨日、一緒に飲んでおったのじゃ。酔わせて口説こうと思うていたのじゃが……。武こそ、知り合いか? 隅に置けんのう」
「えっ、いえ、別にっ……」
 団子と甘酒で幸い、と言った浪人の言葉が、急に真実味を帯びて、武之介の脳裏によみがえった。
 それにしても、今その娘が、あの時武之介をどやしつけたのと同じ調子で食ってかかっているのは、見るからに頭に悪がつくような、不逞の浪人者の三人連れで、だから武之介のように慌てて謝ったりなど、金輪際するものではない。
 逆に、顔に血を上せて、
「なんだとっ。浪々の身とは言えど武士は武士。貴様のような小娘に、馬鹿呼ばわりされる筋合いはないわっ」
「馬鹿だから馬鹿と言ったのさ。二本差しているのが侍なら、田楽だってお侍って寸法だ。おっと刀に手をかけたね。天下の往来で日のあるうちからだんびら振り回すつもりかぇ? やれるもんならやってごらんな。江戸っ子のみなさま方は、みんなあたしの味方をしてくれらぁ」
「よっ、姐さん、日本一っ」
 見当違いの掛け声が、どこかで上がる。野次馬が、集まり始めていた。ふと気が付くと、半兵衛の姿も見えない。
「こら、ばか。よしなさい」
 野次馬をかき分けるようにして、小柄な老人が飛んできて、娘をたしなめた。
「だってよ、先生……」
 娘が口を尖らせ、浪人達は、肩をいからせた。
「この娘が、我らに無礼を働いたのだ」
 老人は、穏やかに笑って、
「こちらも言葉が過ぎたようだが、元はと言えば、お手前方が悪い。ここは一つ、痛み分けと言うことにいたしませぬかな」
「なにぃっ」
 首領格の浪人が、老人の胸ぐらに手を伸ばした。しかし老人はこれを、僅かに胸を反らせて、ついと躱した。これが、火に油を注ぐ結果となったらしい。
「おのれっ」
 思わず、刀に手がかかる。
 そこへ、
「おい、待てよ」
 芝居がかった物言いで、ぬっと半兵衛が、割って入った。
「なんだ、貴様っ」
「女こどもや年寄りなんぞに喧嘩を売って、弱いものいじめをしようなんざあ、だらしがないぜ。その喧嘩、かわりに俺が買ってやる」
「できるな、貴様。名を名乗れ」
 ふふん、と半兵衛は、鼻で笑った。
「まず、そっちから名乗るのが礼儀ってもんだろう。まあ、出し惜しみするほど大層な名前じゃないから教えてやるよ。柏木、弥之介。ここいら辺りじゃ、竹光の先生で通っている」
 言いながら、ゆっくりと刀を抜いた。
 浪人たちが、どっと笑った。
 半兵衛の刀が、金貝すら貼っていない、竹光だったからだ。
「おい、おい、じいさんよ。そんな棒切れで、何をしようってんだ?」
「何をするか、見ていることだ。こんななまくらでも、お前さんがたのおしゃべりを止めさせるぐらいなことは、できるんだ」
 半兵衛の竹光が、ひらりと動いた。
 切っ先は、確かに首領格の浪人の胴をかすったらしい。本身の刀なら、無事ではなかっただろう。だが、竹光だ。
 また、浪人たちは、げらげら笑い、
「では、返礼といくか」
 言うや、抜き打ちに斬りつけてきた。意外に鋭い、居合だ。
 しかし半兵衛は、それをふわりと躱し、返す二の太刀も軽くいなした……つもりであったのだが、
「どわっ」
 半兵衛の竹光が、ちょうど真中あたりから、すっぱりと両断されてしまった。
 当たり前の刀のつもりで、受けてしまったのがいけなかったのだ。
 浪人は、にやりと会心の笑みを浮かべて、刀を振りかぶった。
 半兵衛は、半分になってしまった竹光を投げ捨てて、こちらもどうせ竹の脇差には手もかけず、ぱっと跳び退って、老人の杖に手をかけた。
「ちょっと、借りるぞぃ」
 口調が、もとに戻っている。
 転瞬、半兵衛の手のうちで、まるで生き物のように杖がくるりと半回転し、浪人の小手をしたたかに打った。白刃が宙に舞い、茜の夕日を浴びて、ぎらりと光る。
 わっと野次馬の輪が広がったが、半兵衛は慌てず二、三歩下がって、落ちてくる刀を左手ではっしとつかみ、間髪入れずに浪人の喉元に突きつけた。
「ひ、引けっ」
 勝ち目はないと悟った浪人達は、捨て台詞を残すのも忘れて逃げていった。

「おかげで、助かりました」
 にこりと笑って老人が、頭を下げた。
 娘の方が、何か言いたそうな顔をしたが、
「お前も、礼を言いなさい」
 無理やり頭を下げさせた。
「いや、いや、余計なことをしてしまったかも知れませんのう。……いや、……知れねえな」
 わざとらしい物言いに、娘がけらけらと笑い出し、武之介は、穴があったら入りたかった。
 老人は、神田に住む医者で柏木周庵。娘は、あいと名乗った。
「おー、これは奇遇。わし……俺は、柏木弥之介と言うんだ」
「同姓ですな」
 何食わぬ顔で言って周庵は、礼心に、どこかで一献差し上げたいが、と誘った。
「なんの、当たり前のことをしただけだ。礼には及ばねえ。が、同姓のよしみだ。付き合おう」
 だったら、素直に行くと言えばいいのに。
「それにしても」
 と周庵は、半兵衛の腰から、竹光の脇差を鞘ごと抜き取って、
「あなたのような、ちゃんとした武芸者が、こんななまくらをお持ちにいけませんな。こんなものは、堕ちるところまで堕ちたものが、持つものです」
 言いながら、自分の腰に落し差しにすると、今までそうとは見えなかったのに、しっくりとおさまった。
「おー、やはり周庵殿。元は……」
 言いかけるのを遮って、
「いやいや、若い頃、遊びごと程度に習ったくらいのものですよ」
 と、笑った。

 あいは、今日は周庵がいるためか、大人しく飲んでいる。周庵は、あまり口をきかなかった。武之介は、早く帰りたくてならない。
 必然、半兵衛が一人でぺらぺらと喋りまくることになった。こういう時の半兵衛の話しというのは、たいてい自慢話と相場が決まっていて、自分の話と、聞きかじりの柏木弥之介の話をごっちゃにして、いろいろしゃべった。
 周庵は、少し面映そうな顔をして、笑いながらきいている。
「師匠、そろそろ帰りましょう。歌代さんが心配していますよ」
 といったら、半兵衛が立ち上がったので武之介は、こんなこともあるものかと驚いた。
 しかし、
「ちょいと、厠へ行ってくる」
 武之介は、肩を落とした。
 半兵衛がいなくなると、座は少し、しんとした。
 あいが、ぽつりと言った。
「武の旦那も、妙な師匠を持って、苦労だの。秋山小兵衛さまの次は、うちの先生とはね」
「いや、本当にもう、まったくうちの……なんだって?!」
 ふと気が付くと、周庵は、いなかった。

 半兵衛が用を足して出てくると、闇の中から、声がかかった。
「柏木弥之介っ。とうとう見つけたぞ。積年の恨み、今日こそ晴らしてくれる」
「なぬっ?!」
 とんだやつに見られていたものだと、内心焦りまくりながら、半兵衛は、
「待て、落ち着け。わしは、上原半兵衛。柏木弥之介殿という剣客は、死んだはずじゃよ。二十五年も昔にのう」
「黙れっ。先刻、柏木弥之介と、己で名乗ったばかりではないか。歳の頃も、合っている。あの、鮮やかな立ち回り、気障な物言い、間違いないっ」
 決め付けて、ぐいと抜き身を突きつけた。
「樋口新五郎。ばかだな、積年の恨みを晴らす、相手の顔も見忘れたのか」
 あっ、と半兵衛が、振り返った。
 周庵が、懐手で立っていた。腰に、半兵衛の竹光を差していて、杖はついていなかった。先刻までの穏やかな様子がうって変わって、どこか凄みがあった。
 周庵に樋口と呼ばれた浪人も、周庵を見た。それから再び半兵衛に目を戻し、また周庵を見た。
「……貴様か!」
「運のいいやつだな。腕が使えるようになったのか」
「左で剣を振るえるようになるまでに十年、それで貴様を倒せるという確信を得るまでに十年だ」
「そりゃあご苦労なことだが、自業自得だということを、忘れるな。親の仇か何かのように言われては、迷惑だ」
「うるさい!」
 樋口は、半兵衛のことなど最早、完全に無視して、猛然と周庵に斬りかかった。周庵の手は、まだ懐に入ったままだ。
 相手に先制の機を与えてしまうと、左利きの剣客というのは厄介だ。左利きの相手を想定した、剣術の修行など、あまりないからだ。
 はらりと周庵が懐手を解いたと見えた瞬間、脇差が鞘走った。あっと樋口が、腕を押さえて刀を取り落とす。袖がすっぱりと裂けて、押さえた指の間からじわじわと血が流れ出しているのが、月明かりでもはっきり見てとれた。
「斬れた……」
 半兵衛は、呆然と立ち尽くすばかりである。
「貴様……、俺に、二度と刀を握るなと……?」
「自業自得といったろう? 血の気の多い頃なら、こんなことでは済まさぬところだ。だが、仏の顔も三度と言うぞ。
 早く、医者に見せることだな。まごまごしてると、本当に使えなくなるぞ。なんならわたしが診てやろう。高くつくがね」
 樋口は、落とした刀をなんとか拾って、よろめきながら逃げていった。
 周庵は、手にした竹光を堀に投げ捨てて、半兵衛に、
「あなたが、こんな大道芸を真似することはない」
 言って、さっと身をひるがえした。

 翌日……
「師匠、もう気が済んだでしょう。歌代さんが、着物を貸してくれると言っていますから、それで早く刀を請け出してきてください」
「ふぉっふぉっふぉ、そこに抜かりがあるものか。質入れなぞ、してはおらぬわい」
 どたばたと道場へ駆けてゆき、天井裏をがさごそと探っていたかと思うと、袱紗に包んだ大小を引きずり出してきた。
「まあ、そんなところにお隠しになって……」
「でも、師匠。それじゃあ、居酒屋の親父に渡した一両は、一体……」
「ひょっひょっひょ、そこはそれ、わしの人徳というやつじゃ。吉原の花魁が、逆に身銭を切ってでも、わしに逢いたいと言うてなぁ」
 嘘だ。絶っっ対に嘘だ。
 道場から、他に無くなっている物がないかどうか、後で歌代さんと一緒に、徹底的に探してみなくてはと思う、武之介であった。




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