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手に入り次第、掲載いたします。
「江戸名所花暦・夏」より
別な絵で代用します。

「江戸名所図会 両国橋」
『
新版 江戸名所図会 上巻』より
(鈴木棠三・朝倉治彦校注、角川書店、P130-P132、S50/1/10)
回向院をつなぐ橋として隅田川の両国橋です。
江戸初期の頃、隅田川の東側を下総
(しもうさ)の国と呼んでいたので、
下総国と武蔵国を結ぶ橋ということで両国橋と呼ばれました。
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両国橋の名の由来は武蔵と下総の両国を結んだ意による。
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橋桁が大変たくさん立派に橋脚が描かれています。

川開きで、たくさんの船が繰り出しておりまして、小さい船が屋根船、大きい船が屋形船です。
若い衆が屋根の上に乗って長い竿で船をくっております。
川開きは吉宗の時代ですが、コレラや飢饉でたくさんの死者が出たときの
鐘楼流しのような供養の為に行われたのがきっかけとなりました。
全国から芸人が集まって、興業しておりました。
また、広小路は誰の土地でもない公共の土地なので、税金もかからないし、自由な雰囲気のした所でした。
両国には、
日に三千両ものお金が落ちると言われております。
朝は青物市場が開催されまして、市場でまず千両。
昼には橋のたもとにある広小路にある見せ物芝居小屋などで千両。
夜には納涼船で千両。
ゆえに日に三千両ものお金が落ちたと言われました。
当時、芝居町や吉原で日に千両ずつお金が落ちた、と言われていましたから、その三倍になるわけですね。
となると、両国は非常な歓楽地であったということが伺えます。
両国橋自体、九十六間という長さがありました。
(一間は六尺、1.82メートル。つまり九十六間は174.72メートルです。)
千住大橋の次に架けられた橋で、
御入用橋(ごにゅうようばし)です。
政府が管理していて、橋番が橋の両端と真ん中の三カ所に設けられていて、橋の管理にあたっていました。