江戸時代の百科事典ともいうべき
「守貞漫稿」には、
「小袖」について次のように書かれています。
『大袖というのは、袂(たもと)なき広袖を云ふなり。その大袖に対して、袂を円形に縫い合わせたものを小袖と云ふなり』
また
『今世は木綿服にあらざる綿入服を小袖と云ふ。』
(ただし、木綿ではない袷衣を袷小袖。単衣
(ひとえ)は綿入であっても、小袖とはいわない)
(※袷
(あわせ)・・・裏をつけて仕立てた着物)
と書いてありますが、どうやら時が経つにつれて、袂が正方形のものも『小袖』と呼ばれるようになったようです。(^^;
(守貞漫稿の中にも、そんな記述がありました)
袂の形などよりも、
袂が縫い合わせてあって、綿入で単衣でないものを一般的に『小袖』と言ったのでしょうね。
江戸時代において小袖は、身分の上下に関わらず皆が着ておりました。
今回のお芝居では、小太郎さんが3種類の女性に変装しました。
最初が大店のお嬢様。2番目が町娘。3番目が辰巳芸者です。
3つの変装ごとに、皆それぞれ違った着物を着ていましたが、江戸時代においてはこの着ているものによって、どういった職業なのか身分なのかが一目で分かりました。
●大店のお嬢様:『振り袖』●
振袖は、現代においても成人式などでよく見かけたりしますよね。
振袖といえば『女性の着物』だと思われがちですが、
意外にも男性でも着ることがあります。
といっても大人の男性ではなく、
元服を迎える前の男の子です。
礼服には熨斗目ですが、晴れの日などには、定紋付きの振袖を着ました。
振袖という名前は、
歩くたびに長い袖が振り動くために「振袖」となったそうです。
最初は袖の長さは一尺五寸ほどだったのですが、時が経つにつれて二尺四、五寸くらいにまで長くなりました。
杉浦先生の著作『百日紅』にも、この男の子の振袖姿のことが描かれています。
北斎先生の次男として登場してくる多吉郎(養子に入り、名を加瀬崎十郎と改めた)の元服前の若衆姿を回想するシーンがありますね。
当時の多吉郎の「どでかいずう体に似合わぬ振袖姿」を思い浮かべて、
「(多吉郎の若衆姿が)気味悪かったもんなぁ」(笑)と北斎先生。
「やっと人間らしくなった」(笑)と姉のお栄ちゃん。
多吉郎、完全に茶化されていますね。(^^;
(『百日紅(上)』 杉浦日向子/ちくま文庫 P336より)
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「浜町河岸の夕涼」(鳥居清長)
『清長 浮世絵 美人画・役者絵3』より
(樽崎宗重、講談社、S40/11/25、図68)
番組内にて紹介した浮世絵が見つからなかったため、別な浮世絵を用意いたしました。
右の絵は大判二枚続の浮世絵です。
河岸をあるく二人の美人の長い振袖が、川風に揺られているというシーンなのでしょう。
番組内にて小太郎さんが変装された大店のお嬢さんは、高島田でたくさんの簪
(かんざし)などをつけていました。
この絵の中の振袖姿のお嬢さんもそれなりに裕福な所のお嬢さんなのだと思います。
鬢の所が透けて見える「灯籠鬢」
(とうろうびん)に簪と笄
(こうがい)、櫛を差していますね。
また右のお嬢さんはさらに紋付きの振袖をお召しになっておられます。
袖口や裾などからチラッと見える赤い蹴出しも印象的・・・。(^^;
●町娘:『小紋』(こもん)●
小紋は、
細かい模様や単一の模様などを繰り返し染めたものをさします。
振袖に単一の模様などで繰り返し染めれば「振袖小紋」などと言いますね。
また「一抹小紋」や「鮫小紋」など、模様としての意味でも使用されます。
『守貞漫稿』には、
「晴服、男子は縞物を専らとす。女子は小紋を専らとし、縞はこれに次ぐ」
と書いてあります。
一般的な女性の間では、縞なども好まれたようですが、それ以上に晴れ着には小紋を好まれていたようです。
それだけに様々な小紋が存在しております。
小紋の中でもとりわけ有名な模様をいくつか取り上げてみました。
◆市松模様(市松小紋)◆
江戸中村座の歌舞伎役者・
佐野川市松が好んで用いた模様。
この模様で染めた袴を、舞台にて使用していたそうです。
この市松模様を用いた小紋が、市松小紋です。
◆鮫模様(鮫小紋)◆
鮫皮のように細かな白点を一面に並べた模様。
縦・横にきちんと整列している鮫模様を行儀鮫。
縦・横にきちんと整列しておらず、乱れ連なっている鮫模様を乱れ鮫と言います。
■黒襟について(掛け襟)■
番組内にて小太郎さんが2番目に変装した大店の女性は、黒襟の振袖を着ておりました。
この「黒襟」ですが、文化・文政年間の頃に、流行し始めます。
黒襟は、髪油が襟につくのを防ぐためにつけられます。
最初の頃は、小袖などにこの黒襟が付いている様は、あまり良く見られませんでした。
その為、外出着には掛け襟はせず、専ら普段着に掛け襟をしました。
(つまり、黒襟がついている着物は「普段着」ということになります。)
そして時が経つにつれて、段々と庶民の間でも贅沢な材質や、派手な模様などでこしらえた着物を着るようになっていきました。
すると、幕府の方では贅沢禁止令を度々だし、庶民が贅沢な着物を着ることを禁止しました。
そこで、その贅沢禁止令を回避するために、この「黒襟」のような掛け襟が注目され始めます。
素材や模様にある程度の派手さが残っている着物でも、黒襟をつけることにより
「これは外出着のような贅沢品ではありませんよ。普段着ですよ。」
という意味になります。
これにより御上の目をごまかし、贅沢な着物にも掛け襟さえすれば、着ることが可能になりました。
この掛け襟は広まっていき、町家では礼装以外の小袖はすべて掛け襟をするのが一般的になっていったそうです。
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「星や霜当世風俗 房楊枝」(歌川国貞)
『図説 浮世絵に見る色と模様』
(近世文化研究会、河出書房新社、1995/7/25、P82)
市松小紋か鮫小紋の町娘の浮世絵を探していたのですが、見つからなかったため、遊女が着ている鮫小紋の浮世絵を掲載いたしました。
(娘さんの小紋となると、花などの模様を使った場合の方が多いようですね・・・(^^;)
左の浮世絵は、吉原遊女屋の二階が舞台となっております。
まだ太陽が上がる前の早暁、遊女が客と自分用の房楊枝を取りに行って帰ってきたシーンでしょう。
利休鼠という色の鮫小紋を羽織っています。
利休鼠(りきゅうねずみ)
カラーコード:#728C79
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●辰巳芸者:江戸褄(えどづま)●
小太郎さんが最後に変装した辰巳芸者ですが、
『黒留袖で裾の辺りに模様』がある着物を着ておられましたが、現代では一般的に
「江戸褄」と呼ばれておりますね。
江戸褄というとこういった着物の種類という形で見てしまいがちですが、本来は、
褄模様を裾から褄の上方へかけて配置するという「模様の配置方法」についての呼び方になります。
主に女芸者達がお座敷などにて用いていたのが流行の始まりでした。
後にそれが定着し始め、こういった褄模様、裾模様を用いた黒縮緬の定紋付が、江戸後期には既婚者の礼服へとなっていきます。

「雛形春日山」
『ヴィジュアル百科 江戸事情 第6巻服飾編』
(NHKデータ情報部編、雄山閣出版株式会社、1994/11/20、P69)

「青楼芸者撰 おはねおふく」
『ヴィジュアル百科 江戸事情 第6巻服飾編』
(NHKデータ情報部編、雄山閣出版株式会社、1994/11/20、P69)
またこの裾模様は、八寸模様、七寸模様、五寸模様、三寸模様などがあり、
年配者になるにしたがって裾模様の位置が低く地味になっていく傾向がありました。
なお、上図の「雛形春日山」の方が江戸褄模様の雛形になっております。
(「青楼芸者撰 おはねおふく」は裾模様の例です)