◆お芝居情報◆

【放送日】1999/01/21 【お芝居】ウソをつくのが運のつき

お江戸でござる オリジナルソング
曲名
作詞
作曲




●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・編集・補足 長尾武之介



◆本日の間違い点◆

●長屋に桐箪笥があったのは場違いだった
箪笥というのは高級者にあたるようなブルジョアな象徴だったので、長屋住まいの人には縁のない物でした。
(そう言えば、長屋には押し入れもなく、布団も置いてあるだけって言いますよね。)

●貧乏長屋の人に一両あげるのはいけない(使えないという意味)
お芝居の中で、若旦那が長屋の人に一両をあげていましたが、長屋の人々はまず一両は使えませんでした。
それは、一両はまず両替しないと使えません
(日常で使う貨幣は銭が普通。「両」は金貨で日常的には使用しない。)
そのため両替に行きますと、
「どこからその一両は出た物か?」
と聞かれてしまいます。
(しばしば定期的に両替に来るような人には聞きませんが、初めての人だと間違いなく聞かれます
今回のお芝居では嘘をついて得たお金ですから、もちろん出所を聞かれるとまずいわけです。
一般庶民は小判とは縁がほとんどありませんから、長屋の人が持っていたりすると怪しまれるのが当たり前でしょう。)
だから、長屋の人に一両あげる場合は、両替してからあげないとかわいそうだということでした。


◆本日の良かった点◆

●履き物屋の店頭が大変良くつくられていた
履き物屋の店頭が大変良くつくられていました。
店先の入り口のすぐの所に番傘と蛇の目傘がかかっておりましたね。
こういった傘と下駄を一緒に扱う店が大変多く、別名「照降屋(てりふりや)」と呼んだものだったそうです。


●のれんの出来が良かった。
草履・下駄と白く染め抜いてあって、商っている商品そのものをきちりと染め抜いていたそうです。
履き物屋ののれん
「履き物屋ののれん」


●大江戸履き物事情●

■履き物の普及■
履き物というと江戸期を通じて草履が主体ですが、実は庶民がはくようになったのは江戸中期以降なのです!
明治三十四年に、ペストの大流行がありまして、その時に裸足禁止令というのが出ました。
(衛生面を考えたのでしょう。)
それから全国的に普及していったのです。
江戸の中期~後期までは、都市部の人達だけがかろうじて履いていたくらいで、少し郊外へ出ると、みんなぺたぺたと裸足で歩いてました。
良くて、草鞋か足半(あしなか)という草履を半分に切って先しか無いような小さな物が良いくらいで、裸足は恥ずかしいことではなかったのだそうです。
足半(足中) (あしなか)
かかとの部分のない草履。戦場などで用いられた。
■いろいろな履き物■
三囲の夕立
鳥居清長 「三囲(みめぐり)の夕立」
浮世絵発華2 清長』より
((平凡社、No42、1985/5/15)
奉公人
(奉公人)
女性は華美な服装ばかりで、皆、中流以上の人達ばかりです。
かさね草履と呼ばれるちょっとぜいたくなよそ行きの履き物を履いております。
真ん中の奉公人の女性が足駄をはいております。
左の女主人に傘を持ってきたということですね。(右図)


裸足のお侍さん
裸足のお侍さん
当時、全国的には下駄は原則的に雨の時にしか履かなかったのです。
普段、晴れているときには草履を履いていました。
しかし江戸では、中期以降、下駄がはやりまして好まれました。
小粋に見えたのでしょう。

絵の左端にいるお侍さん、裸足になっています。(左図)
雪駄をはいていましたが、雨が降ってきたので雪駄が大切だという事でふところにしまっておられます。
こういったお侍さんでも大切にしたように、履き物は高級品でした。
(下駄を懐にしまい込んでいるお侍さん。おかげで裸足。(^^)

連歯下駄
(れんしげた)
連歯下駄 一本の木から作りだした下駄。ちょっと高級品です。
足駄
(あしだ)
足駄
(側面図)
差し歯の丈が高い物。
減ってきたら差し歯の部分だけ取り替えればよいので、経済的でした。
後期にいくにしたがって段々低くなってきて、日和下駄(ひよりげた)になってきます。
日和下駄(ひよりげた)
晴天の日向きの歯の低い下駄
江戸の好みとしては鼻緒を長く履くのが好まれるようになって、幕末になると後歯の後ろに穴をあけるようになりました。
(京都や大阪ではずっと後歯の前でしたが・・・)

更に便利なのは、庶民の履き物として、真ん中に穴をあけます。
前つぼの部分は痛みやすく、先が割れてしまったりするので、前つぼの反対側に穴をあけて両方使えるようにしたそうです。
履き物が高級な時代だったので、こうやってより長く使えるようにしたのでしょう。
故に後ろに入れるとぜいたくな感じになるのです。
(穴を後ろに入れて鼻緒を長くして履くと、一回先が割れてしまったらもう使えなくなっちゃいますからね。)
足駄
(側面図)
足駄
(裏側)
足駄
(鼻緒を長く)
足駄
(真ん中に穴)
ぽっくり ぽっくり 吉原の遊女などが履きました。こっぽりなどとも呼ばれます。
草履の表を張り付けてあり、ぜいたくであったゆえ、1750年、町人が塗り下駄をはくことが幕府によって禁じられました。
これは歩くときに出る音からこの名前になったそうです。
中貫草履
(なかぬきぞうり)
中貫草履 これも大変ぜいたくな物です。
い草の畳表を使っていて、絹の鼻緒をしかも二本使っていました。
そのぜいたくさ故に、これも禁令に引っかかりました。
かさね草履 かさね草履 奥女中とか花魁が履いていた物でした。
花魁などは、これで廊下をぺたりぺたりと歩いていたそうです。
大変歩きづらそ~。(>o<)
雪駄
(せった)
雪駄
(側面図)
草履の裏に皮を貼った物。
千利休の考案とも言われております。
湿気が下からあがってこないので、路地やぬれた石の上などを歩くときに便利です。
裏にある金物をしり金といいます。
歩く時にチャリチャリ音がします。
江戸の中期以降に考案されたそうです。
革ですから、ぬれた後干しておくとそっくり返ります。
それでいばりかえって歩く人を「雪駄のどよう干し」と言うそうです。
雪駄
三枚歯下駄 三枚歯下駄 花魁道中の時に花魁が履く物です。
とても重いもので、ほんの数十メートル歩くにも四十分もかかったそうです。
以上の様な足下のおしゃれというのも江戸も後期になってからのものだそうです。
私自身、もっと以前からあったと思っていただけに驚きでした。

江戸時代には、上記に紹介した履き物以外にも様々なものが存在しております。
詳しく知りたい方は、「近世風俗史5」(喜田川守貞著、東洋文庫)などに詳しく掲載されておりますので、参考にしてみて下さい。


■参考文献■

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