
「雷師匠」江戸東京実見画録より
『
大江戸ものしり図鑑』より
(花咲一男、(株)主婦と生活社、p177、2000/1/24)
雷師匠と題がありますが・・・(^^;
その名の通り、非常にしつけが厳しかった先生だったそうです。
たいそう、親御さん達に評判だったそうで、最盛期には間口十間、奥行きは裏通りまで二階建ての教室に五百人もの門弟を抱えていました。
江戸で最も繁盛した寺子屋の一つです。
日本橋佐内町に雷師匠として有名な中石水(なかせきすい)という名物先生がいた。
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通りに面している所が、格子になっておりまして、授業風景が外から覗けるというようになっております。
これを見て、「うちの子も・・・」と思うのでしょうね。
この中が見えるということはこういった宣伝も兼ねているのでしょう。
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江戸時代の就学率は7~8割、識字率は世界最高とも言われていた。
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真ん中の席にいるのが中石水というお師匠様です。
その前に座らされている子は
お仕置きを受けています。
子供の前にお線香が一本さしてありまして、
「これが一本燃え尽きるまでそこで正座していなさい」
という意味なのですね。
この他にも
「片手に水をいっぱいに張ったお茶碗を持って、もう片方の手にお線香を持って、お線香が燃え尽きるまでじっと立たされる」
といった罰もありました。

図の真ん中下あたりにぽつんと座らされている子供がいます。
なんと
炭俵を背負わされているのですが、どうやらこの子は暴れた(喧嘩をした)様ですね。
「この炭俵に詰めて大川に流してしまうぞ!」
という脅しをかけられている所なのです。
この罰を受けている二人ともしょんぼりとしてますね~。(^^
よっぽど効いたのでしょう。
雷師匠というだけあって、席を整然と並べて授業をしております。
ですが、たいていの寺子屋ではこの
天神机をばらばらに配置して授業を行っていました。
好きな所に置くことができるのです。
しかも、
一人一人教科書がちがっていまして、その子の適正にあった教科書を与えていました。
それでたいていは、
年長者が年少者を教えることになります。
それでも分からないことがあれば、先生に聞きにいくというのが基本的なスタイルでした。
先生は教えるというよりも、
見守っているという形で真ん中にいらっしゃるのですね。
修学時間ですが、だいたい
朝五つ(8時頃)~昼八つ(午後3時)です。
今でも八つ(午後三時)に食べるのをお八つといいますよね?
つまり、
寺子屋から帰ってきてからすぐ食べるものがお八つだったわけです。
しかしこの修学時間もきっぱり朝五つからという訳ではありませんでした。
通学時間は自由だったのです。
午前中、家の手伝いをしなくてはならない子は午後から来ますし、途中から登校することも、途中から早退することも自由自在でした。
自分の空いた時間に教わることができたのです。