◆お芝居情報◆

【放送日】 【お芝居】

役柄役名出演者名
町医者 金玄 桜 金造
町医者見習 和吉 えなりかずき
魁三右衛門 魁 三太郎
めし屋の女将 お重 重田千穂子
与一郎の女房 お景 竹下景子
浪人 林与一郎 林与一
めし屋の手伝い お洋 長山洋子
お江戸でござる オリジナルソング
曲名
作詞
作曲




●杉浦日向子のおもしろ講座●
江戸風俗研究家 杉浦日向子
加筆・編集・補足 長尾武之介



◆本日の良かった点◆

●町医者・金玄先生
今で言いますと、金玄先生は「心療内科」というお医者さんに当たります。
患者さんの症状や悩み・訴えを聞いてあげることによって、自然治癒力(しぜんちゆりょく)を高めてあげるのです。
処方していた薬は「甘草(かんぞう)」という心静沈痛効果のある生薬を処方していたのではないかと思われます。
(飲んだ人が甘くておいしいと言っていましたからね。)


◆本日の間違い点◆

●よっぽどの理由でないと仇討ち許可書はもらえないんです、三右衛門さん
当時、敵討ちは合法でしたが、許可書が必要です。
許可書は藩主からもらいますが、これをもらわずに敵討ちに出てしまうと一時脱藩ということが出来ません
また、この許可書をもらう為には大変な手続きが必要です。
それゆえ、余程残忍なやり方で殺されたとか、特にに許せないやり方に限ってでしかもらえませんでした。
そういった時には検死は必ず立ち会いますので・・・
検死で頭を打ったか、刀で斬られたかはすぐわかっちゃいますから。(^^;
今回の様な場合だと、絶対許可は出ません。

杉浦先生曰く
「与一郎さんが早とちりで脱藩してしまった訳で、それを追って来るという人は居なかったわけです。」
との事です。
三右衛門さん、八年間も追い続けちゃって・・・本当にご苦労様です。(^^


●大江戸医者事情●

■疱瘡(ほうそう)
現在、手元に資料がありません。
見つかり次第、掲載いたします。

「新版子供遊」(源 為朝)
(財)日本医学文化保存会 所蔵)

似たような絵がありましたので、こちらを参考にしてください。
この絵本を手にしていると、疱瘡・麻疹にかからないとされているものです。

桃太郎手柄ばなし , 紅摺絵本
一声斉(歌川)芳鶴 「桃太郎手柄ばなし」
浮世絵のなかの子どもたち
(江戸子ども文化研究会編、くもん出版、p26、1993)より

これは赤絵(あかえ)と言います。
(その名の通り、赤一色の絵ですね。)
別名:疱瘡絵(ほうそうえ)とも言います。
(天然痘(てんねんとう)のこと)
疱瘡にかかってしまった子供のために、その枕元に貼る赤絵です。
なぜ赤一色なのかというと、疱瘡をもたらす鬼が「赤い色が嫌い」とであったためです。
枕もとに赤一色の絵を置くことで、疱瘡が早く去るようにと願ったのでした。
江戸時代、疱瘡(天然痘)は十数年に一度、全国各地で流行する疫病だった

番組内にて紹介された絵には鎮西八郎源為朝(ちんぜいはちろうみなもとのためとも)」が描かれております。
(掲載している絵は源為朝ではありません。)
為朝が落ち延びた先、その地では天然痘が流行らなかったと言われていたため、為朝の絵を貼っておくと早く病が癒えるのではないかと思われたわけです。

疱瘡の治療は、治療というより、おまじないや神頼みといった時代だったわけですね。
それが、江戸中期にシーボルトによって種痘(しゅとう)というものが伝えられます。
牛痘というものが勧められて、それが程なく日本にも伝搬されました。
ただ当時、牛の膿を健康な人に傷を付けて埋め込むというのは気持ちが悪いということで、あまり持てはやされませんでした。
ゆえに教育をしなくてはならないということになり、このようなPR絵などが作られるようになったのです。

現在、手元に資料がありません。
手に入り次第、掲載いたします。

「(題名不明)」鳩居堂 所蔵

牛の上に乗った牛痘児という正義の味方が疱瘡神という鬼をやっつけているというものです。
こういう物をばらまきまして、最初の内は嫌がっていたのが三、四年も経ちますと、全国的に認められる治療法として普及したとのことです。
これによって、天然痘がかなり激減しました。
種痘の成功は西洋医学を世に認めさせ、多くの蘭学医に活躍の場を持たせた。

■江戸の名医 町医師・緒方洪庵■
お芝居の最後に、三右衛門さんが「俺は医者だ!」と公言していましたが・・・
当時の医者は、そういった自己申告制でなれる職業でした。
テストや免許などといったものはありませんので、
「俺は医者だ!」
といった日から、医者になれるのです。

ただし、本当に勉強して医学を修めたお医者さんもかなりいたことは確かです。
もちろん、藪医者も中にはいたということなんですね。
そういった医者の中でも、次に紹介する「緒方洪庵」という方は、名医ともてはやされた人物でした。

緒方洪庵
「緒方洪庵(1810~1863)」 緒方家 所蔵
洪庵のくすり箱』より
(米田 該典・著、大阪大学出版会、p5、2001/1/31初版第1刷発行)

この人は緒方洪庵(おがたこうあん)という方です。
幕末に適塾(てきじゅく)という私塾を開いて、たくさんの門下生を世に輩出しておりました。
その中には橋本左内、福沢諭吉、大村益次郎などの人達も含まれています。
約二十五年間の3000人の門下生が全国から集まったそうです。
かなりの規模を誇る私塾を開いた洪庵先生ですが、彼自身は一介の町医者でした。
この方を中心に、塾生達が全国にちらばったことによって、牛痘の普及につながったそうです。

ここの適塾の教育方法はとても厳しかったそうです。
二階に三十二畳ほどの大部屋がありまして、そこに常時三十人内外の塾生が寝起きしてました。
スペース的に言うと、一人約一畳ですよ!?(゚〇゚;)
そこに机と自分の持ち物を置くことになります。
そうなると、もう着の身着のまま寝たり起きたりして、起きてる時には辞書をひいたり、本を読んだりし、疲れ果てたら机に突っ伏して眠るということで、布団で眠るというのは一人もいないというぐらいでした。
食事をするにも立ったまんま、簡単な質素なおかずと一緒におひつからもったご飯を食べていたそうです。
辞書なども、この時代には何冊もあるものじゃないですから、奪い合いになったほどとか。

塾生は語学・医学のほか自然科学など最新の蘭学全般の習得につとめた。

そんな状況の中、月に五、六回もテストがありまして、そのテストで三ヶ月連続で主席を取りますと、上の級に進めるという九段階のクラスに分けられていました。
(さ、三ヶ月連続っ!!!す、すごい・・(゚〇゚;) )
本当に大変なので、命がけで勉強しないと洪庵の塾は卒業できないということでした。

この一介の町医者である洪庵先生が、その実力を買われまして、将軍に呼ばれて奥医師まで登り詰めることになります。
洪庵先生は町医者で終えたかったのです。
ですが、将軍の命ということで逆らうことはできなかったのでしょう。
奥医師に上がり、十人の家来を持たされます。
けれども、余程ストレスがつもったのでしょうか。
その十ヶ月後に亡くなっております。
享年は数え年で五十四歳。(絵の肖像画は五十三歳の晩年の頃のです。)
彼がもっと長生きしていれば、江戸における医学の発展に、さぞや貢献されたでしょうね。

■上原漫画「上先生と呼ばれたい?」■
上原漫画
上原漫画
上原漫画
上原漫画
上原漫画
■緒方洪庵について■
文化七年~文久三年(1810~1863)

幕末における日本の蘭医学者の第一人者。
備中足守藩(現在:岡山)出身。
十六歳の時に父の転勤(足守藩大坂蔵屋敷留守居役)に伴い、大阪へ。
天保七年(1836)に蘭学を学ぶために長崎へ遊学し、この頃から「緒方洪庵」と名乗る。
帰阪後、天保九年(1838)瓦町で医業を開業し、同時に「適々斉塾(適塾)」を開く。
(後にこの適塾は過書町に町家を購入して移転)
文久二年(1862)幕府の要望により江戸幕府奥医師に。
(西洋医学所頭取をも兼任)
わずか十ヶ月後の文久三年(1863)6月10日突然多量の喀血により急死。(享年54歳)


◆武之介コメント◆
適塾を開いてから、幕府奥医師として召されるまでの約二十年間。
日本最初の病理学書「病学通論」を書いたり、道修町に除痘館を設けて種痘事業の発展に尽くすなど・・・
その業績は、今現在においても多くの人にたたえられています。
彼の偉業を受け継いだ人々がのちの近代日本に多大な影響を与えたことは間違いないでしょう。

なお、洪庵先生が開いた「適塾」は、当時そのままの姿を現代でも見ることができます
機会があったら、ぜひ見てみたいですね。

なお、この適塾の光景については、福沢諭吉の回顧録である
「福翁自伝」
に詳しく掲載されております。
興味のある方はぜひ!!
(福翁自伝の武之介感想です



●出演者への質問●

【質問:】みなさんはがんばったことってありますか?

●長山さん●
今日、お医者さんのお話なので、いろいろ思ったんですけど・・・
あの~、人間ドックにですね。
私、後にも先にも、幼稚園の時にたった一回だけ入ったことがあるんです。
【ALL:】幼稚園っ!!??(゚〇゚;)
【金:】普通、幼稚園じゃ入らないよ~。
ですよね~。
今はもう健康が自慢なんですけれども、幼稚園の頃はすぐなんかあると熱を出す子だったんですよ~。
それで原因とかが分からなかったから、親が「ちょっと人間ドックに入れて、しっかり調べてもらおう」ってことで・・・
幼稚園の時に二泊三日の人間ドックに入ったんですよ。
もうこれはがんばった以上ですね!
もう自分で自分をほめてやりたいくらいです。
当時ですね?ずっと母親と寝るとき、手を握りながら~・・・小っちゃかったですからね。
夜トイレ行くときには母親と一緒に行ったりとか・・していたんですけど・・・
親はいっさい駄目ですから、また夜の病院が怖いんですよ~。
【竹:】可哀想~。
そこに二泊もした自分はがんばったなと思います。
●重田さん●
うちはね、定番のおやつは芋の天ぷら。
サツマイモのね。(^^
●林さん●
がんばった~って言うそういうものに巡り会わないんですね~。
命をすり減らしてがんばったなぁ~っていうような事が今まで無いから・・・
出会うのかなぁ?先も短いけども~。
【ALL:】(笑)
【金:】な~に言ってるんですか~!
●杉浦先生●
え~・・・がんばったといか、必死に道楽の為だったんですけれども・・・
必死に、一生に一度もう無いだろうなってものが、船に乗るために三十時間、飛行機に乗ったことです。
【金:】飛行機は嫌いなんだ?
大嫌いなんですが、ニューヨークとサンパウロで乗り換えて・・・
地球の裏側のアルゼンチンまでたった一人で乗ったんで・・・。
【ALL:】はぁ~(゚o゚)
もう二度と無いと思いますけれども。
【魁:】飛行機の中じゃ寝れないんですか?
寝たり起きたりなんですけれども、ええもぅほとんど死んでいました。(^^;
●竹下さん●
子供が中学に入った時に、給食からお弁当になって、がんばろうと思うんですね。
ちょっと今まで出来なかった分をここでって。
で、お弁当箱いろいろ揃えて、早起きして、こぅがんばって作って、「はいっ!」って言って送り出したら・・・空のお弁当箱渡しちゃったことがあるんですよ~。

【金:】えぇ~っ!!(^^;
【ALL:】大爆笑(^o^)/ギャハハ
だからね~、いつになくがんばるのは駄目だっていうことですね。(^^;
●金造さん●
【え:】金造さんは、がんばったこととかは?
・・・今日は僕、がんばりましたよぉぉぉぉ!!(^o^)/
来週もがんばりま~~すっ!!
見てちょうだぁ~いっ!!
それでは~!!(^o^)/

■参考文献■

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